可兒醤油は屋号を鑰屋(かぎや)といいます。鑰とは、
●物事の要
●重要な役割
●中心

という意味です。今では「鍵」という字が一般的ですが
空海が説いた、秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)や
古い文献には、「鑰」という漢字が出てきます。漢字の形状から
考えると、複雑な形をした「かぎ」という意味でしょうか。

400年経った今でも可兒醤油は「鑰屋可兒醤油」と呼ばれ
鑰屋の醤油、鑰屋の赤味噌と親しまれ、
お得意様より今も屋号で「鑰屋さん」と呼ばれています。




《稲葉7人衆》

慶長の時代、美濃藩主稲葉貞道が臼杵に移封される1年前、商人・医者
僧侶・農民等に変装した7人の武士達が臼杵の町に偵察に来た。
俗に言う稲葉の7人衆である。
商人に変装した可兒孫右衛門は、後に殿様と一緒に來臼した次男と共に
臼杵市本町で1600年(慶長5年)鑰屋を興した。

以来城下町商人として手広く商いをし、
稲葉藩に貢献して繁栄をもたらしたので、名字、帯刀を許された。
しかし、武士であった可兒孫右衛門は、商人になる為
3年間牢獄に入ったと可兒家文書に記されている。

その後約400年間、創業時と同じ場所で
今は11代目が商いをしています。(→可兒家の歴史を読む)




《天保の鬼瓦》
天保15年、鑰屋の本宅を建てた時の鬼瓦です。

高さ
厚さ
120cm
90cm
10cm
上の部分は厚さ15cm、高さ20cm。
中心部に家紋が入っています。
可兒醤油の小売部に飾っておりますので
ぜひ、ご覧になってください。
(思った以上に大きいと思います。)




《建 物》
(大正時代の本社前)
(現在の本社前)

可兒醤油本社は築350年以上の蔵づくりです。
昭和45年位まで大工さん・左官屋さん・樽屋さんが常勤で
毎日何処かでトントンと言う音がしていました。
現・11代当主をはじめ、代々の当主はその時代の音を
子守唄に聞きながら成長してきました。

蔵作りですので、もちろん夏は大変涼しいです。
未だに文明の利器はなく、過去の猛暑にもクーラなしで、
暑さを充分しのげました。
ただ冬は、ぽつんと会社の真中に(年代物?の)ストーブが1つだけなので寒いです。

11代いわく、「これがエコ生活なのだ!」




《鑰屋の白狐伝説・・・》

江戸の華は、喧嘩と火事と言われた程火事が多かった時代。
臼杵の町も例外ではなっかた。
元和・宝永・享保・寛保・・・と鑰屋の蔵が
各々の時代の火事の炎をくぐり抜けて来られたのは、
蔵に棲む白狐のおかげだった。

明治に西郷隆盛が臼杵に攻め込んだ時、臼杵の町は炎と化した。
臼杵城も焼け、城下は火の海となったが鑰屋だけはビクともせず、
慶長の蔵の雄姿を今も残している。

【慶長五年の昔より蔵に棲む白狐は鑰屋の神様】
現在、この蔵は老朽化に伴い壊してしまったのですが、
夜になると、ここら辺りで白狐を見る、という噂もあります・・・?