可兒 玄好(かに げんこう)

(1600?〜1734)

可兒家三代当主・直該作右衛門(なおかねさくえもん)の第三子として生まれるが、
直該の兄・八右衛門(はちえもん)に子供が無かった為養子となった。

伊東仁斎、東涯親子が京都に開いた堀川学校に1685年7月に入門。
玄好と東涯が一緒に机を並べて学んだ様子は
伊東東涯の手書「課試訳業」に詳しく記載されている。

東涯と玄好は兄弟以上の契りを結び勉学に励んだが
1685年玄好が回郷せんとするや
東涯は惜別の情に堪えず9月19日悲憤に満ちた序を作っている。

伊東東涯書(紹述先生文集巻之一)の中に[贈可兒玄好帰豊後序]と記述されている。

儒と医を修めた玄好は医者となり、同じ時代を生きた多福寺賢巌とは非常に親しかった。
その後、秦十兵衛の女を娶り二女子が生まれたが
各々幼少の時に死別し、玄好の家は途絶する。

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