家業の醸造業を営みながら、商家の若手グループの中心であった孝次郎は、
西南戦争によって戦火を受けた臼杵の経済復興を計る為に明治10年頃より活動していた会を、
明治18年、正式に“臼杵商談会”として発足させた。
会長に可兒孝次郎、副会長に小手川角三郎が選ばれた。当時氏族救済目的で発足していた。
留恵社が経営していた綱屋、塩屋、夷屋を商談会が買収統合して、資本金4千円で明治22年、
臼杵海産物会社を設立。
商談会は海産会社と表裏一体をなし、孝次郎の優れた統率力のもと商工業に限らず、
より広いスケールで活動し現在の臼杵市の基盤産業である醸造、
海運、造船を育てた功労者でもある。
孝次郎と姻戚関係にあった山本達雄・箕浦勝人・荘田平五郎又、知人であった
福沢諭吉・北里柴三郎、日本財界の重鎮・岩崎弥太郎とも密接な関係があり、
その厚い人望が商談会の発展にもつながっていったのである。
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