伊藤 東涯(いとう とうがい)

(1670〜1736)

寛文10年(1670年)儒学者伊藤仁斎(いとうじんさい・堀川塾主宰)の
長男として京都・堀川で生まれる。
幼時より父から家学を受けて学問に優れ
末弟の伊藤才蔵(いとうさいぞう)と共に堀川の首尾蔵と言われた。
東涯15歳の時、可兒玄好(かにげんこう・3代当主の三男)が堀川塾に入塾。
東涯と玄好はお互いに年齢が違うが実の兄弟の様に親交を深めていった。

仁斎の学問を継承し祖述した東涯は「紹述先生」と呼ばれた。
しかしその学問は紹述に留まらず博覧、綿密な学究としても知られている。

東涯が実兄のように慕っていた可兒玄好だが、堀川塾で3年学んだ後、一旦臼杵に帰ってしまう。
その時、東涯は大変落胆して玄好へ手紙を送り、玄好は再び京都に戻り学んだ。
しかし5年程学び再び玄好は臼杵に帰ったが、
東涯は何故帰るのかと言う心情が書かれている書

「紹述先生文集」巻之一に贈可兒玄好帰豊後序として残している。
これは現在、天理大学天理図書館古儀堂文庫所に収められている。

東涯は多くの子弟を輩出し、蘭学者の始祖と言われた青木昆陽(あおきこんよう)も
東涯の弟子である。
教育者として不朽の痕跡を史上に残し日本に伝わる青磁茶碗の代表の逸品
「馬蝗絆」の銘を付けたのが伊藤東涯その人である。

宝永2年(1705年)父の死後、古儀堂2代を継ぎ町学者として宗旨し
元文元年(1736年)7月逝去。


「人の長短は見易く、己の是非は知り難し」 伊藤東涯


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