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福澤 諭吉
(1835〜1901) |
可児 孝次郎
(1853〜1931) |
可児 清一郎
(1876〜1898) |
9代当主可児孝次郎には、清一郎と言う長男がいた。
清一郎は勉学熱心な子どもだった。
孝次郎が「商売に勉学は必要無い」と叱っても
とにかく学びたいと孝次郎に執拗に言っていたようだ。
とうとう根負けした孝次郎だったが、上京して知人の福澤諭吉を訪ね
諭吉から清一郎に「商売人は商売に励めばよい、勉学は必要無い」
と言ってほしいと頼んだ。
ところが、諭吉は反対に孝次郎に
「時代は変わったのだから、これからは資本家も経済学を学び世界に眼を向けるべきだ」
といって論されてしまった。
又、「孝次郎さん、人力車は車夫が引っ張るが、車夫も人間ですよ」と諭吉に言われ、
孝次郎は臼杵に帰ってすぐ人力車を廃止、家の者も人力車に乗ることを禁じた。
その後、清一郎は慶応義塾に入塾、学校から1キロ程の寄宿舎に入り
毎朝、諭吉先生や友人達と下駄をカランコロンと鳴らし、諭吉先生からいろいろな話を
聞きながら学校に行くのがとても楽しかったと孝次郎に話している。
また、孝次郎もそのような清一郎の話を聞く事は、どれ程嬉しかっただろうか。
しかし、この明治31年福澤諭吉先生を囲んで撮った卒業写真の後、
臼杵に帰った清一郎は間もなく心筋梗塞で逝去。
短い人生だったが、大好きだった勉学、諭吉先生や学友達との語らいなど
自ら望んで進んだ道に、悔いはなかっただろう。
また、この時の卒業生達、六十数名はそのほとんどが日本の経済界のリーダーになった。
(卒業写真は当時のまま、ここ可児醤油の事務所に飾られている。)